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あしあと

    2020年発行「広報とよさと」掲載の町史編さんだよりをご紹介します

    • [公開日:2022年9月16日]
    • [更新日:2022年12月28日]
    • ID:2860

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    2020年掲載の「広報とよさと」の町史編さんだよりを集約しました

     豊郷町では町史編さん事業を進めています。現在は、民俗聞き取り調査や古文書調査などを順次進めているところです。

     これまで、調査を進める中でわかったことは主に「広報とよさと」の町史編さんだよりのコーナーの中でご紹介してきました。今回、より多くの皆様の目に留まりやすいように、発行年ごとに掲載ページをまとめて公開させていただきます。

    豊郷小観

    滋賀県初等教育研究大会記念作成「豊郷小観」

     この絵ハガキは昭和10年7月14日に豊郷小学校で開催された滋賀県初等教育研究大会の記念として、豊郷村役場が作成したものです。今回、町史編さんのために収集した資料の中から発見されました。

     平成6年に戦時資料の収集家である中川三治郎さん(八日市)によって役場に寄贈されたもので、豊郷村の役場や寺社、ため池など36ケ村の写真を使った絵ハガキで、当時の村の姿を伝えてくれます。

     この大会については『豊郷村史』にも記載があり、当時の資料を見ると、町をあげての一大イベントであったことが伺えます。


    八町の道標

    八町の地蔵近くにある石の道標

     これは、古くから八町に伝わる石の道標です。表には「右 のみち 左 彦根道」、裏には「二十五番常禅(寺)」と刻まれています。近江国地誌『淡海木間攫(おうみこまざらえ)』(寛政4年(1792)成立)の記述から、常禅寺が彦根城辺三十三所札所の一つであったことが知られ、この道標は江戸時代に巡礼した参拝者の道案内のために造られたものであることが分かります。このような道標だけでなく、石仏、顕彰碑、記念碑など石造のものが多いのも豊郷町の一つの特徴です。

    四十九院の龍王碑

    中山道沿いにある龍王碑

     豊郷町は犬上川の扇状地縁辺に位置し、古くから旱魃(かんばつ)に悩まされた歴史があります。水不足を克服するために、先人たちはさまざまな知恵をしぼり努力を重ねてきました。その一つが、降雨を祈る雨乞(あめごい)行事です。町内においては、四十九院で行われる「雨乞い蛇」がよく知られています。

     このたびの古文書調査によって、遅くとも江戸時代に阿自岐神社で雨乞神事が行われていたことや祈雨に霊験あらたかな多度神社(三重県桑名市)に八町から参詣に出かけていたことも分かりました。

     今日の環境では、水に困ることはほとんどなくなりましたが、生活する上で欠くことができないものへの感謝の気持ちを大切に引継ぎたいものです。

    苧うみ

    苧(お)が茂っている様子

     写真の植物は何という名前かご存じでしょうか?葉っぱはシソにも似ていますが、そうではありません。これは苧(お)(カラムシ、苧麻(ちょま))と呼ばれる植物で、茎から繊維を取ることができます。その繊維を撚(よ)って糸にすることを「苧(お)うみ」と言います。苧うみされた糸は吸水性と発散性に優れていて、主に夏の着物として用いられています。

     江戸時代の中山道沿い村々の様子を記した『宿村大概帳(しゅくそんたいがいちょう)』によると、四十九院や上枝村、下枝村などの多くの集落では、農業の傍らの手作業として、女の人は苧をうみ、布を織っていたそうです。それは幕府への献上品「高宮布」と同じく貴重なもので、この辺りの名産であったと記されています。

    吉田の第一回敬老会

    寺の境内で敬老会の集合写真

     9月21日は敬老の日です。写真は吉田の第一回敬老会の記念写真で、昭和9年に婦人会主催で開催されました。吉田婦人会に代々書き継がれた「会録」を見てみると、この敬老会には兵役に服する家族も招き、お寿司などが振る舞われ、お琴や日曜学校生徒による余興などが行われた様子が細かく書かれています。

     また、婦人会が昭和8年3月に発足した経緯や、災害、戦争など当時の地域の動きが詳細に記述され、吉田だけでなく日枝村の歴史を知る上で「会録」は貴重な資料です。こんにちでは吉田婦人会は解散されていますが、資料は激動の歴史を語ってくれます。

    一里塚

    塩谷家文書「高宮宿ゟ中宿村絵図」滋賀大学経済学部附属史料館保管

     一里塚は、一里(約3.9キロメートル)ごとに土盛の塚を築き、その上にエノキやマツなどを植え、旅の目印としたものです。慶長9年(1604)、中山道などの主要街道で整備されました。

     写真は江戸時代の中山道の様子をあらわした絵図(部分拡大)です。豊郷町域では中山道を挟んだ2か所(安食南地先、石畑地内)に一里塚が築かれていました。絵図をよく見てみると、描かれている葉っぱの形が違うことから、それぞれ異なる木が植えられていたことが分かります。大きな木の下は日陰で風も気持ちよく、旅をする人々の憩いの場になっていたようです。

    豊郷小学校旧校舎の新資料を発見!

    八幡神社から発見された奉納額

    八幡神社から発見された鍬(スキ)

     このたび石畑・八幡神社より旧豊郷小学校の地鎮祭で使用されたカマとクワが発見されました。カマとクワは縦87.5×横126.5センチメートルの額に括りつけられ、実見すると大変な迫力があります。地鎮祭は昭和11年(1936)3月9日に行われ、その後、豊郷村長であった村岸峯吉氏によって地元の八幡神社に奉納されたようです。同時に見つかったスキは中央に三角形の穴があけられ、鉄の部分に鎖が取り付けられている珍しい形をしています。これも地鎮祭で使われたもので、鎖は何らかの形で固定して奉納するために取り付けられたものと考えられます。

     このスキについては、2022年に新情報がありました。詳しくはこちらのページの「雨降野のゴイ」の記事をご覧ください。

    図書館の郷土史コーナー

    豊郷町立図書館郷土史コーナーの様子

     図書館の郷土史コーナーには、市史や町史などの自治体史が並べられています。

    地域の詳しい歴史を知るためには最も参考になるのは自治体が発行している市史や町史です。豊郷町は昭和31年9月に豊郷村と日枝村が合併し、その後昭和46年2月の町制施行により誕生しています。合併後に豊郷村の歴史などをまとめた豊郷村史が発行されていますが、豊郷町全体の町史はこれまで発行されていません。

     県内の他市町の自治体史はそれぞれの特色を踏まえて編さんされており、豊郷町史も町の特色を出して編さんを行いたいと考えています。そのためには、歴史的な資料を収集と調査を行う必要があり、現在資料の収集に力を入れています。

    ご自宅に古文書や昔の道具などが残されていませんか?その史料が豊郷町の歴史を解き明かす貴重な手がかりとなるかもしれません。

     古い文書(江戸時代から大正まで位に書かれたもの)や昭和の中ごろまでに撮影された写真、昭和のはじめ頃に使用していた道具などお持ちの方は、社会教育課まで連絡いただきますようお願いします。

    町史編さん事業では古い書物や写真を探しています

     町史編さん事業では資料の収集を行っています。豊郷町に関連する昔の写真や古い書物をお持ちの方はいらっしゃいませんか?江戸時代の書物だけでなく、大正時代、昭和時代のものも貴重な資料となりえますので、もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、社会教育課までご連絡いただけますと幸いです。町史編さん事業へのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。

     町史編さん事業に関するお問合せは、ページ下部のお問い合わせ先までお願いいたします。