2024年発行「広報とよさと」掲載の町史編さんだよりをご紹介します
- [公開日:2024年4月12日]
- [更新日:2024年12月18日]
- ID:3398
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最新号までアップロードしました
豊郷町では町史編さん事業を進めています。現在は、民俗聞き取り調査や古文書調査などを順次進めているところです。
これまで、調査を進める中でわかったことは主に「広報とよさと」の町史編さんだよりのコーナーの中でご紹介してきました。今回、より多くの皆様の目に留まりやすいように、発行年ごとに掲載ページを公開させていただきました。広報が発行され次第、記事を追加しますので、更新をお待ちください。

愛知神社の大般若波羅蜜多経

「大般若波羅蜜多経」(愛知神社所蔵)
吉田の愛知神社には中世の大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみたきょう)が伝わっています。その奥書に、弘安5年(1282)10月に佐々木近江守の願経として吉田社(愛知神社)に奉納されたという慈覚という者の記録があります。全600巻のうち残ったのは10巻のみですが、近江佐々木氏ゆかりの願経として経巻が移動することなく、約740年間の長い時間、この地に伝わってきたことに歴史の重みを感じます。近江佐々木氏の「願い」とは何か、今後も調査・研究を進めていきます。

枝村商人

上枝・下枝のあたりは、室町時代に活動した枝村商人の本拠地です。枝村商人は京都・宝慈院に美濃和紙を運ぶ役割を担っていました。写真は美濃市大矢田にある紙市跡です。大矢田は美濃和紙の生産地である牧谷と武芸谷の中間に位置し、月に6回の紙市が開かれていました。枝村商人はこの紙市を開催し、独占的な商業活動を行っていました。また宝慈院の通称は「千代野御所」であり、一説には花や図柄などさまざまな模様を色刷りにした千代紙のルーツとも言われています。枝村商人にゆかりのある宝慈院の美濃和紙が千代紙へと展開されたかもしれず、大変興味深いです。

豊郷小学校と国会議事堂

定礎に納められた記念切手

国会議事堂を描いた油絵
豊郷小学校旧校舎群には国会議事堂に関するエピソードが2つあります。一つは昭和12年(1937)2月11日に行われた定礎式で、富士山を写した日本最初の「風景切手」と、昭和11年11月7日に竣工した大日本帝国議事堂(国会議事堂)「記念切手」が納められたことです。もう一つは伊藤忠兵衛から寄贈された群馬の画家・正田二郎作の油絵に国会議事堂が描かれています。この絵は貴賓室に飾られていました。国会議事堂は富士山と同じく日本を代表するシンボルとして捉えられたのでしょう。日本一の小学校を目指すのに相応しいとされたのでは、と考えられます。

校歌

(『藤川助三自叙伝』より引用)
春は校歌を耳にする機会が増えますが、豊郷町内の各学校の校歌は藤川助(すけ)三(ぞう)氏(1909から1968)の作詞によるものです。藤川氏は愛知高等女学校や彦根高等女学校の校長をつとめた人で、俳人としても名高く、また『豊郷村史』を編集するなどこの地にゆかりの深い人でもあります。豊日中学校の作詞者「藤川すけを」は俳号とみられます。藤川は豊郷だけではなく、近隣では多賀や甲良などでも校歌を多く手掛けています。俳人らしく、五七調の日本語独特のリズムで書き上げられています。

石畑区有文書目録の紹介


このたび町史編さん調査報告書 村の記録シリーズとして『石畑区有文書目録』を刊行しました。石畑区有文書は村長を3期つとめた村岸峯吉氏の手元にあったとみられる史料群です。古文書・書籍1,434点、写真・絵はがき996点を数え、近代の豊郷を明らかにする重要な文書や写真が多く含まれています。
写真は戦時中に出征兵士の家庭の農作業を地域の方が手伝っていた際のもので、こういった地域の風景も区有文書から再現することができます。

ヴォーリズのサイン

石畑区有文書
写真は「豊郷村役場及済美会図書館全景」という絵はがきで、昭和5年の豊郷村役場新築落成記念に作製されたものですが、ここに豊郷小学校旧校舎群の建築を手掛けたW.M.ヴォーリズ氏のサインが記入されています。日付けは昭和10年(1935)6月10日であり、丸の中に点を打つヴォーリズ独特のサインも見えます。古川鐵治郎氏が小学校の寄附を申し出た昭和10年5月12日の約ひと月後には小学校建築をヴォーリズ建築事務所に依頼し、豊郷で交流がもたれた様子がうかがえます。

豊郷の絵はがきー昭和10年の村の風景ー
このたび豊郷町史編さん調査報告書『豊郷の絵はがきー昭和10年の村の風景ー』を刊行しました。昭和10年は豊郷で初等教育研究大会、経済更生研究協議会という二つの大きな大会が開催されました。近代化を遂げた豊郷を外部の人々に知っていただく機会でもあり、これにあわせて村の名所を紹介する絵はがきが作られました。
本書は絵はがきをめくるように、手に取っていただきやすいサイズで作製しています。絵はがきが作られた背景にも注目してご覧いただきたいと思います。

江州音頭発祥の地

ガラス乾板(豊郷町所蔵)
江州音頭発祥の地をめぐって、昭和9年(1934)、滋賀県社会教育課によって新江州音頭が提唱された際に、下枝の千樹寺が発祥の地であると再認識されて脚光を浴び、新聞にも大きく取り上げられた経緯があります。写真はちょうどこの頃に豊郷で撮影されたもので、江州音頭で賑やかな風景が写し出されています。多くの観客に囲まれて、頭に手ぬぐいを巻いた男性たちが、左手をかざし、右手を後ろ斜めに下ろす所作をとっているようです。

中江藤樹の像

豊郷小学校旧校舎群の正面玄関・下駄箱の上に近江聖人と称される中江藤樹の像が鎮座しています。これは昭和12年に「白亜の大殿堂」たる豊郷小学校の完成にあわせて、大正元年の卒業生からなる壬子会が寄贈したものです。作者は坂本村(大津市)の金工師・小森寸龍で、ブロンズ像ならではの細かな表現が見られます。凛々しい表情ながらも、温かな目線で子どもたちを見守ってきました。人を愛し敬う気持ちを大切にした藤樹のようになってほしいという願いが込められているようです。

龍ケ池調査報告書

(関西大学の調査データより)
このたび豊郷町史編さん調査報告書『龍ケ池調査報告書』を刊行しました。石畑区に所在する龍ケ池は明治42年(1909)に工事に着手された農業用揚水機場として、大切に受け継がれてきました。令和4年度、関西大学に土木工学的な調査を委託し、調査から得られたデータをもとに歴史的な変遷についてまとめていただきました。令和5年度に行ったシンポジウムの内容や、龍ケ池に関する新聞記事や古写真なども掲載しています。今まで知られなかった龍ケ池の全貌を本書にて紹介しています。

龍ケ池三次元データはこちらから▲

町史編さん事業では古い書物や写真を探しています
町史編さん事業では資料の収集を行っています。豊郷町に関連する昔の写真や古い書物をお持ちの方はいらっしゃいませんか?江戸時代の書物だけでなく、大正時代、昭和時代のものも貴重な資料となりえますので、もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、社会教育課までご連絡いただけますと幸いです。町史編さん事業へのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。
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