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あしあと

    2022年発行「広報とよさと」掲載の町史編さんだよりをご紹介します

    • [公開日:2022年9月16日]
    • [更新日:2022年9月16日]
    • ID:2862

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    最新の9月号までアップロードしました

     豊郷町では町史編さん事業を進めています。現在は、民俗聞き取り調査や古文書調査などを順次進めているところです。

     これまで、調査を進める中でわかったことは主に「広報とよさと」の町史編さんだよりのコーナーの中でご紹介してきました。今回、より多くの皆様の目に留まりやすいように、発行年ごとに掲載ページを公開させていただきました。広報が発行され次第、記事を追加しますので、更新をお待ちください。

    注連縄づくり

    令和3年11月20日天明神社にて「わらすぐり」

    令和3年11月28日八幡神社にて「注連縄ゆい」

     新年を迎えるにあたり、11月頃から町内に所在する神社では氏子の方々によって注連縄づくりが始まります。注連縄はもち米の藁(わら)を使い、まずは脱穀機で「わらすぐり」をして藁の茎の部分だけを選別する作業が行われます。脱穀機を踏む力強くリズミカルな音が集落の中に響き渡ります。藁打ち機で茎を柔らかくして準備が整ったら、「注連縄ゆい」が始まります。手のひらでより合わせながら、きっちりと美しく作られていく様には新たな年が平穏に過ごせますようにとの祈りの気持ちが込められています。

    公民館だより

    「公民館だより豊栄」のタイトルロゴ

     温故知新の言葉にならい、町史編さんでは豊郷町にある古文書や文化財的価値のある建造物などの調査研究と並行して、平成5年12月20日まで発行された「公民館だより豊栄」や、昭和60年6月に創刊された「広報とよさと」をデータ化し、内容の把握と共に大切な「豊郷町の歩み」として保管する作業を進めています。

     公民館だよりや広報とよさとは紙媒体として長らく保管されてきましたが、老朽化したものや号数が揃わない部分もあります。特に「公民館だより豊栄」は昭和54年1月1日発行の277号からの保管分しかありません。町史作成を進める上で、また貴重なデータを保管するためにも全てが揃うことが望ましく、もしご自宅に発行当初から公民館だよりを残しておられる方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。

    ニシン釜

    ニシン釜(羅臼町郷土資料館蔵)

    ニシン釜に刻まれた「又十」の陽刻

    「又十」の陽刻

     北海道沿岸では春になるとニシンの大群が産卵のために浅瀬に押し寄せる「群来(くき)」という珍しい現象が見られます。ニシンの別名は春告魚(はるつげうお)ともいい、厳しい冬に終わりを告げる魚です。

     下枝出身の又十藤野は、江戸時代後期から昭和初期にかけて、遠く北海道にて水産業等を展開させました。北海道・羅臼町には藤野が使用したニシン釜が伝わっています。「又十」と陽刻された大きな釜は直径約120センチメートル・高さ約65センチメートルあり、獲れたニシンを大量に煮詰めます。絞ったニシンは北前船で本州に運ばれて綿花栽培の肥料となり、大変貴重なものでした。頻繁に使用されたであろうその風合いから、ニシン漁で賑わっていた当時の浜の様子が感じ取れます。



    豊郷小学校の実習農園

    昭和10年代の豊郷小学校での実習農園の作業風景

    ガラス乾板(豊郷町所蔵)

    「我々の教育は人格教育であらねばならない」

     これは昭和12年に古川鉄治郎によって寄贈され、ヴォーリズの設計により建設された当時の豊郷小学校長・山中先生の言葉です(『生活教育の理論及実際経営』序)。人格教育は生活教育(自然が人を育む)であるべきとして実習農園では蔬菜(そさい)や果樹などを栽培したり、ヤギやブタの養育を行ったり、花壇の一角では高山植物を育てたりするなど教室の枠を超えた、実体験を伴う教育を行いました。写真は昭和10年代の豊郷小学校の実習農園での児童たちの様子です。クワを手に畑を耕す少年や、トマトと思われる実を収穫する少女の姿が写っています。

     町史編さんは、この歴史ある豊郷小学校旧校舎の一室でも調査・研究を行っています。豊郷の歴史に関するご相談がありましたら、どうぞ気軽にお越しください。

    雨降野のゴイ

    農機具などを手に取りながら説明をする様子

    雨降野民俗調査の様子

    石畑のゴイ

     令和2年11月号町史編さんだよりでも取り上げましたが、石畑から見つかった珍しい形の鋤(すき)は、その後の調査により「ゴイ」という道具であることが判明しました。民俗調査を行ったところ、この「ゴイ」は雨降野でも大切に保管されていました。

     かつて犬上川の水源を頼りにしていた集落では、自分たちの田へ水を引くためにさまざまな苦労と工夫を重ねてきました。「ゴイ」に取り付けられた鐶(かん)に綱(つな)を通し、「ごい!ごい!」と掛け声をかけながら力を合わせて綱を引っ張り、川の底を削って水を有効的に使おうとしたそうです。全国的に見ても「ゴイ」の事例は珍しく、豊郷の水利関係の資料として大変貴重なものです。

    弥陀六の灯籠

    弥陀六の灯籠(西明寺境内)

    灯籠の火袋(ひふくろ)部分の仏

    刻まれた仏の姿

     かつて上枝と下枝の間を通る中山道辺りに「弥陀六の灯籠」が建っており、常夜灯として旅人の目印となっていました。火袋(ひぶくろ)といわれる部分には六体の仏が刻まれ、その作風から鎌倉時代後期の作とみられます。弥陀六は平家の菩提を弔って各地に石灯籠を建立したと伝えられ、その名は歌舞伎の演目「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」にも登場します。近くには沙沙貴神社(近江八幡市)に正安2年(1300)の石灯籠が伝わってます。

     由縁あって現在は湖東三山の一つ西明寺(甲良町池寺)に移され、本坊庭園を入った右手で静かに佇んでいます。西明寺本坊庭園は国指定名勝となっており、この時期は雨に濡れた苔が美しく絶景です。歴史ある灯籠を訪ねて、庭園を散策されてはいかがでしょうか。

    豊郷済美会図書館

    集落まで本を運ぶ木箱(正面)
    集落まで本を運ぶ木箱(扉を開けた中の様子)

     写真の木箱には「第四号」「豊郷済美会図書館」と書かれています。済美会図書館とあるのは、昭和12年(1937)豊郷小学校に併設された酬徳記念図書館の前身の図書館名です。済美会の設立は大正7年(1918)なので、つまり20年間ほど使用されたものと推測できます。扉の内側には初代伊藤忠兵衛の婿養子である伊藤忠三が寄付したものと記されています。箱の上には取っ手の金具が付けられており、持ち運ぶことができます。

     これは雨降野から発見されたものですが、実は同様のものが、昨年度取り壊された四十九院公会堂の二階にもありました。四十九院のものは「第六号」。つまりこの木箱は少なくとも6点以上あったものと思われます。中にはさまざまな本が入れられて集落を巡回し、地域の知の拠り所となっていたのでしょう。

    地蔵盆の飾り台

    家庭の地蔵の前が飾りつけられた「飾り台」様子

    お供えの「飾り台」(下枝)

    幟(上枝)

    版木(上枝)

     毎年8月23日、24日頃に行われる豊郷町の地蔵盆には、さまざまな慣習が伝わっています。下枝、上枝、吉田では、お地蔵さまに野菜や果物をお供えする「飾り台」に、小さな幟や行灯が賑やかに飾りつけされます。まるでお地蔵さまにお参りする寺社の参道をミニチュアにしたような仕様となっています。幟は集落によって素材(布・紙)が異なり、文字も筆で書かれるものや版木で押すものなど、集落によっていろいろあります。一年で特別な地蔵盆の日を華やかに彩る、大変特徴的な飾り台です。

    スズリブタ

    「スズリブタ」に使用される鶴と亀(個人蔵)

     婚礼はお目出度いもので装飾されることが常で、豊郷町内では昭和50年代頃まで「スズリブタ」というツクリモノ(口取り肴(さかな))が組み立てられていました。60センチメートルほどの大きなお盆におがくずで山の形を作り、さらしでグルグルにして固めます。お盆の中心には松の木が立てられ、その周囲にかまぼこやモロコなどの琵琶湖の小魚を焼いたもの、紅白の饅頭やみかんが彩りよく並べられます。そこに写真のような鶴と亀が添えられた、大変迫力のある「スズリブタ」が新郎新婦の席前に飾られていたそうです。鶴と亀は売り物ではなく、地域の方によって身近な素材を用いて作られたもので、その技術力の高さに驚かされます。

    町史編さん事業では古い書物や写真を探しています

     町史編さん事業では資料の収集を行っています。豊郷町に関連する昔の写真や古い書物をお持ちの方はいらっしゃいませんか?江戸時代の書物だけでなく、大正時代、昭和時代のものも貴重な資料となりえますので、もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、社会教育課までご連絡いただけますと幸いです。町史編さん事業へのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。

     町史編さん事業に関するお問合せは、ページ下部のお問い合わせ先までお願いいたします。