2025年発行「広報とよさと」掲載の町史編さんだより
- [公開日:2026年1月15日]
- [更新日:2026年1月15日]
- ID:3756
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ページ内目次
最新号までアップロードしました
豊郷町では町史編さん事業を進めています。現在は、民俗聞き取り調査や古文書調査などを順次進めているところです。
これまで、調査を進める中でわかったことは主に「広報とよさと」の町史編さんだよりのコーナーの中でご紹介してきました。今回、より多くの皆様の目に留まりやすいように、発行年ごとに掲載ページを公開させていただきました。広報が発行され次第、記事を追加しますので、更新をお待ちください。
昭和初期の天稚児彦神社の春祭り

昭和期の天稚彦神社の春祭り、個人蔵
豊郷町内の各神社では四月中旬に春季大祭(春祭り)が行われており、町中に鉦や太鼓の音が響き渡ります。天稚彦神社では、近年まで高野瀬・沢・下枝・大町・杉・肥田・三津の氏神として春の祭礼に集落ごとの山車が出されていましたが、今日ではかつてのような賑やかな様子は見られなくなりました。山車の上には樹木と意匠を凝らした男女の人形が飾られ、地域の青年たちが団結して担ぎ上げ、祭りを盛り上げました。写真は当時の記憶を留めてくれる大切な資料です。
豊郷町内の揚水機場調査報告会

3月17日(月)「豊郷町内の揚水機場調査報告会」を開催し、調査にあたった関西大学院生から発表がありました。今回の調査により、豊郷町内12字に62ヵ所の揚水機場が確認され、それらを集水池、浅井戸、深井戸の三種類の井戸構造に分類し、豊郷町域の水システムの現状を詳しくまとめられました。この調査は地元の方の協力を得て、聞き取りをもとにしたものであり、報告会には30名の方にお集りいただきました。先人がいかに知恵を絞り、地域の力を結集して、安定した農業用水を得てきたか。その思いは「豊郷(豊熟を望む)」の名にも反映されています。
八日市飛行場のプロペラ

大正4年(1915)に民間飛行場として設営された八日市飛行場は、第一次世界大戦のあと次第に陸軍省の支配下に取り込まれていきました。大正11年(1922)4月25日、甲式練習機三八号は飛行演習中に高度300mから墜落、航空第3隊の森特務曹長が八日市飛行隊における最初の犠牲者となりました。このニュースは市井の人々に大きな衝撃を与えたようで、当時の新聞にも大きく取り上げられています。どのような経緯か、大破した機体のプロペラの一部が、石畑区に伝えられた古文書類の中から見つかっています。
学童疎開

豊郷小学校のプールは大阪の児童にとっても驚きの施設でした
戦争が日ごとに厳しくなった昭和19年夏、児童たちの疎開が政府によって計画されました。豊郷小学校には高津小学校(大阪市中央区)3年の男女と5,6年生の男児88名が、日枝小学校(現在は日栄小学校)には道仁小学校(大阪市中央区)4,5年の男女82名が学童疎開し、終戦後の昭和20年10月頃まで豊郷の地で生活していました。唯念寺(四十九院)・石畑会館・山月楼(八目)、下枝寮・正法寺(吉田)・正覚禅寺(吉田)に分かれて暮らし、親元を離れて暮らす児童を地域の女性がサポートしていました。
豊郷小学校の軍事郵便


昭和初期には満州事変、日中戦争と対外戦争が続き、豊郷からも多くの方が出征されました。当時の豊郷小学校山中校長は戦地から届いた「軍事郵便」のなかから、戦地の様子が描かれた絵はがきやビラなどを貼り付けて図書館に架蔵し、児童たちの教材としていたようです。『大陸参考品』と名付けられたこの冊子は昭和14年ごろのもので、6冊からなり、豊郷にゆかりのある約50名が小学校に便りを寄せています。
銃後の日枝

第一線で戦う兵士へ、懐かしい村の便りを届けようと、日枝村銃後奉仕同盟会から『銃後の日枝』が作成されました。これは「郷土のニュースが聞きたい」という戦地からの切実な願いに応えたものです。2冊からなり、第一集は昭和13年5月30日刊行、118ページに136名が、第二集は昭和14年2月1日刊行、175ページに210名が文章を寄せています。寄稿したのは小学校長、在郷軍人分会長、消防組員、国防婦人分会長、青年団長、村鎮守の社司、お寺の住職、村会議員、小学校児童などで、村の様子や兵士への感謝の気持ちを綴っています。
清水式精米機


新米の季節を迎えています。三ツ池区に「清水式無砂精米麦機」という大きな円筒型の精米機が残されていました。これは大正10年(1921)に信用販売購買組合が設置した電力精米機で、三ツ池区では10台が稼働していました。かつては生産能力を高めるために石粉を混ぜていましたが、清水式はその必要がないために砂が混じらず、風味良いコメが食べられるようになりました。「天下唯一」を登録商標としたこの機械は、厚生社(農協)でも導入され、精米されたコメは京都へと運ばれていました。
阿自岐神社大鳥居の礎石


県道安食西八目線のバイパス整備工事の際に、四十九院交差点付近の土中から、かつてここに建っていた阿自岐神社大鳥居の礎石(縦130㎝×横150㎝)が見つかりました。鳥居前の石灯籠は明治37年(1904)3月に近くで呉服商を営んでいた安食南の田中利平次さんと四十九院出身の薩摩治兵衛さんが造立しています。大鳥居は平成15年に道路拡幅工事で移転しましたが、平成24年に強風で一部崩落したため、今は伝わっていません。出土した礎石の大きさに驚くとともに、大鳥居が建っていた頃の懐かしい風景が思い出されます。
町史編さん事業では古い書物や写真を探しています
町史編さん事業では資料の収集を行っています。豊郷町に関連する昔の写真や古い書物をお持ちの方はいらっしゃいませんか?江戸時代の書物だけでなく、大正時代、昭和時代のものも貴重な資料となりえますので、もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、社会教育課までご連絡いただけますと幸いです。町史編さん事業へのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。
町史編さん事業に関するお問合せは、ページ下部のお問い合わせ先までお願いいたします。

